社歴
history
大正 5年
香川県三豊市山本町辻に於いて、豊田定助が農地を開墾。
名称を豊光園農場とする。
昭和 7年
初代場主、豊田唯春が孵化事業を開始。全国でヒヨコの生産、販売を行う。
昭和14年
中国、吉林省に豊光園中国農場設立。
ヒヨコの生産販売を開始するが戦争の激化のため、引き上げ。
昭和22年
株式会社豊光園孵化場を設立、香川県観音寺市に工場を建設。
阪大微生物病研究会へのワクチン製造用熟卵の納入開始。
昭和24年
初代の乗船した阪神航路の美島丸が突風のため播磨灘にて沈没、
2代目 豊田勉が社長となる。
昭和34年
観音寺工場閉鎖、山本豊光園設立、
国産鶏ロードホン生産販売開始する。
昭和40年
ブロイラー生産販売開始。
昭和46年
外国鶏輸入、生産販売を開始する。
昭和52年
種鶏場を分離、丸山種鶏場設立、代表 豊田諭謹就任。
豊光園孵化場代表取締役社長、豊田勉となる
昭和59年
ヒヨコの生産販売を中止する。西の谷農場建設(3万羽)
昭和61年
小松尾農場建設(3万羽)
昭和62年
日本たまご産業設立、
平成 2 年
日本たまご産業、焼却炉生産販売を開始する。
(全国の養鶏場に400基ほど設置。)
平成 6 年
海草を鶏に与えた有精卵の生産販売を開始。
神田農場1期工事完成(18万羽)
平成10年
西の谷農場インラインシステム完成(12万羽)
ダイオキシン規制法の強化により焼却炉の事業は中止。
平成13年
社名を(有)豊光園と変更、3代目社長に豊田諭謹就任する。
平成14年
有精卵用の飼料に竹炭を添加することで生臭さを無くすることに成功。
西の谷第2種鶏場完成(種鶏3万羽)となる。
平成15年
(有)四国あぐり設立。丸山種鶏場解散。
平成17年
小松尾種鶏農場ウインドレスに建て替え(種・鶏4.5万羽)
平成19年
有精卵用の飼料にごまを添加してセサミンを卵に移行さすことに成功。
日本たまご産業神田農場2期工事完成(36万羽)
平成21年
有精卵用の飼料を植物性だけとする。
本社孵化場増設(75万卵)
平成22年
西の谷育成農場完成(ヒヨコから一貫生産体制整う)
平成23年
西の谷農場 成鶏舎増設(18万羽)
平成24年
西の谷農場 育成場建設(9万羽)
平成26年
四代目に豊田晶士 就任。
小松尾農場7号舎 建設(種鶏21万羽)
太陽光発電所建設
平成27年
豊田農園設立。代表 豊田衆士。
観音寺孵化センター A・B棟建設
平成28年
観音寺孵化センター C棟建設(孵化能力 152万卵)
創業当時 全景
創業当時 社員一同
豊光園記 開墾碑